公認心理師ママのプロフィール

公認心理師のみさとです。

今は精神科(心療内科、頭痛外来)と児童発達支援施設で勤務してます。

カウンセラー歴15年 、整体などセラピスト20年で心と身体を癒す事が人生のライフワークに。   

東洋医学博士の運営する整骨院で修行、メディカルアロマを学ぶ為に1年間渡豪、東洋医学をまなぶため、インド、ネパール、タイなどをバックパッカーをしながらお寺などで修行。

帰国後心理学を本格的に学びカウンセラー兼セラピストに。

心と身体を癒すためのサロンを2店舗運営。

カウンセラーとしてNGOピースボートの不登校や引きこもりの方を支援するプログラムに参加、世界一周を果たす。

結婚を機に家庭に入り、不妊で悩む中で夫と不仲になり離婚寸前まで追い詰められる、、、夫婦仲専門のカウンセリングを受けて夫婦仲を見つめ直し、改善。有名な不妊外来で自然妊娠は無理と言われていたにも関わらず、夫婦仲が円満になり、身体を東洋医学的観点から治すことにより自然妊娠により授かる。

この事からより心と身体の繋がりを深く学ぶようになり、第二子は一回のタイミングで自然妊娠。

今は5才の娘と2才の息子とイクメン夫と共に楽しい家庭を築きながら、心療内科で身体の不調を改善する整体やメディカルアロマで患者さんの身体を癒しながら、心の病気でお悩みの患者さんには心理検査やカウンセリングをしております。

また、発達障害のお子さんを支援する児童発達支援の施設にも勤務。

個人では夫婦仲や子育てをメインにカウンセリングしてます。

人を癒す事が私のライフワークになった訳!

私の人生が人を癒すというテーマになったきっかけは22歳の時にマッサージの仕事に出会ってからです。

大学の3年生の時に単位もほぼ全部習得済みで、就活も希望する所で内定をもらっていたので、暇すぎて、、、

社会に出る前に何か1つ手に職をつけておこうかなと思ったのがきっかけです。

バイトとして雇われ、マッサージの研修を受けて素人に毛が生えた程度のレベルでセラピストデビューしました。

めっちゃ軽い気持ちで始めたのですが、やってみると面白くて、何よりもお客さんと一対一で60分以上向き合う接客は初めてで、色んなお話ができるのが楽しかったんです。

それまでは接客といえば飲食店のホールなどがメインだったので、一対一で初めてお会いする方と60分以上も接客するなんて、全然感覚が違うんです。

私はどちらかと言うと飲食店などの接客業で褒められた事があまり無くて、社会に向いてないのかもしれないと思ってました。

しかし、一対一でじっくりお話ししながらマッサージしせてもらうのは、楽しくて、お客さんからも聞き上手と褒められてました。

ただ、マッサージは下手な方だったので、ほぐせているのかどうかも最初はよくわからず、、とりあえず習った通りに順番にやってるだけでしたから、技術の方はまだまだ未熟だと実感してました。

ある時、お客様から下手だねって言われて、ちょっと怒られたんです。

始めたばかりだからと言っても料金は同じなので怒られるのは仕方のないことですね。

その時に私は、この仕事は私の技術と接客の態度やお話などがそのまんま商品価値になってるんだ!!

私のマッサージが上手であれば値段よりも安いと感じるし、逆も然り!!

私が下手であったり、お客様とのおしゃべりが楽しくなければお客様は不満なんですよね。

そう思った時に、やり甲斐がすごくあるし、自分の評価が分かりやすくて好きな環境だと気が付きました。

それまでは飲食店ではどれだけ美味しい食事を食べれるかが価値なので、私の接客が良いかどうかはそれほど影響はしてないし、食事が美味しくなければ、怒られるのもホールに立つ私でした。

私は私の技術や接客がほぼ商品価値だと思えた時に、「それだったらお客さんが驚くほど感動する技術と接客をしよう!!」っと火がつきました。

これまでは自分がコントロールできない部分(商品=飲食店なら料理)が大きかったり、1人で多くの方をお客様を相手にする事が私にとってはやり甲斐が感じられにくい環境だったことに気がついてしまったんですね。

そこからはもう特訓でした!!

とにかく先輩を捕まえてマッサージの技術練習!!

他のスクールやセミナーにも参加してひたすら技術磨き!!

他の人気サロンにお客さんとして行って施術を受ける事を繰り返し、技を盗み!?

どんどん上達していきました。

気が付けば指名も増えて、、、お客さんからもお褒めの言葉を頂いたり、感謝の気持ちを伝えられる事が多くなりやり甲斐をすごく感じられて、仕事が楽しくてたまりませんでした。

希望のマッサージ会社に就職するも・・・

気が付けばマッサージの世界にどっぷりハマりマッサージが大好きになっていた私は、指名も多くて忙しい日々でした。

そんな中、会社の時期社長のポジションのお偉いさんからお食事のお誘いに、、、

一体何の話かな??と思いつつも気軽にお食事に行くと、、、

時期社長「うちの会社の正社員にならない?エリアマネージャーとして迎えたいと思ってるから、真剣に考えてみて欲しい。」

私「えっと、私既に内定を頂いてるところがあるのでこちらでのお仕事は3月までと考えております。それは面接時にもお伝えしておりました、、、」

時期社長「そうだね、それは分かってるんだけど、マッサージの仕事好きそうだし、うちで正社員として働くのもやり甲斐があっていいんじゃない?うちなら学びたい事もたくさん学べると思うよ。本当にどちらが良いのか考えてみて欲しいんだ、、、」

私「確かに、正社員になれるなら、どちらが良いのかじっくり考えてみたいと思います。」

と、私としてはもう内定をもらっていた会社に就職する気でいたので驚いたのですが、既にやりがいを感じていてマッサージには強い魅力を感じていたのでこちらに就職もいいかもって思えました。

その会社は当時は全国でも3番目にマッサージ業界では大きな会社で、全国に100店舗もありましたし、上場予定ということもあって、私は将来性も高いと思いこちらの方でお世話になる事に決めました。

そうお返事をしたら、、、すぐに3店舗任される店長になり、、、学生のうちから責任のあるポジションにつく事になってしまいました。

好きな仕事であったので多忙な日々も辛くはなくて、3店舗なんとか回しながら楽しく充実した日々でした。

4月からは本社のある大阪でスクールも運営している会社であったため講師に直接指導していただきながら、朝から晩までみっちりマッサージを教えて頂き最高の日々でした。

この時に整体、タイ古式マッサージ、中国式足ツボ、アロママッサージと様々な技術と知識を習得し、サロン運営についても学ぶ事ができました。

社長が世界中を飛び回って世界の隅々まで観てきたような方だったので、とても魅力的なお話が多くて、社長の話や会社を大きくした社員の皆様のお話は学生の頃とは全然違うスケールで華々しくて感動しきりでした。

年収1000万を超える若い社員さんのお話など、、、本当にモチベーションが上がりまくりで、私も頑張るぞーーーって燃えてました。

この研修時に食事に連れて行ってもらった中之島のリーガロイヤルホテルでの優雅な時間は若い私には大人の世界に入り込んだようでドキドキワクワクものでした。

少し前まで学生だった私には何もかもが輝いて見えたものです。

やる気満々で大阪から地方に戻り、ついに7店舗も任されるエリアマネージャーになりました。

シフト管理、店長会議、人材育成、求人採用、イベント企画、売上管理、、、、とにかくサロン運営のほぼ全部任されていたので一気に忙しくなり、もう休みは月に3日とか、、、そんな感じでしたね。

休みの日も電話がかかってきて出勤になることもしばしばで休める日はラッキーみたいなブラックな日常でした。

しかし今よりも20年近く昔の話、ブラックなんて当たり前!!

あの頃は台風でも出勤するのが社会人として当然!?みたいな空気でしたから、「仕事が出来ないから休みも確保できないんだ、そんな自分が悪いんだ」って思うような考え方でした。

上司や社員はみんな良い方ばかりで、社長も魅力的でしたし、本当に嫌な上司は1人もいなかったのですが、、、みんながスーパー仕事できて、みんながスーパー働くので、、、休みなんていらない!!睡眠なんてとらなくても頑張れる!?みたいな根性と気力で乗り越えるのが普通なんだと思えてしまっていたんです。

つまり、「ワーカーホリック(仕事中毒)」がやたらと多くて、みんな仕事が大好きな方々ばかりだったのでそれで成り立っていたし、会社とどんどん短期間で大きくなったような会社だったのでバブルみたいな雰囲気もあり、私もその波にのまれていったような感じでした。

社会人経験1年目の私にはそれが社会なのかとも思ってしまっていたんです。

あまりに忙しいと自分のことについて考える余裕も無いんですよね、目の前のことをこなすことでいっぱいいっぱいで、、、、

そんなある日、仲良くしているサロンのスタッフが精神疾患になり、今思えば統合失調症なのですが、すごく大変な状態になってしまって色々あって実家に帰って養生していただく他選択肢が無い状況になりました。

私にとっては頼れる年上のお姉さん的な存在だったのにあまりにも急に別人になってしまってかなりショックでした。人ってこんなにも簡単に壊れてしまうものかと怖くて、、、驚きと悲しみでいっぱいになりました。

その時に、その方の年齢が30に差し掛かろうとしていた時で、今後の生き方について悩みを持っていた事を後からその方のお母様から連絡をもらい知りました。

自分の思い描く歳の重ね方ではなかったそうで、随分悩まれていたのだと後から分かりました。まだまだ若い私にはそんな悩みを打ち明ける気持ちにもなれなかったでしょう、それほど悩んでおられるとは気付きませんでした。

しかし、後から思い返せば、「人生なんてあっという間で楽しい20代を過ごそうと思っていたはずが、取り返しのつかない事になってるのよ。だからやりたい事とか目標とかあるならしっかり自分に厳しくやっていかないと、ただただ歳をとってしまって焦る事になるよ」って半分冗談みたいに笑いながら言ってくれてました。

たぶん説教っぽくならないように笑いにかえて伝えてくれてたんだなぁと思いました。

ご自身の悩みだったからこそ若い私に忠告してくれてたんです。

私は、その方の変わりようと、何も出来ない無力感に打ちひしがれてしばらくその方のことで頭がいっぱいになってました。

そして、私は同じように30才になる時にどんな私でいるんだろうかと将来について真剣に考え始めました。

忙しさのあまり、自分がなんでマッサージの業界に入ったのか、どんな人になりたいのかなど思考停止状態だったんです。

私は気が付けば年収1000万を目指す会社員になってしまってました、、、年収1000万を目指すことのためにガムシャラに働いてたんです。

7店舗の売上を伸ばすことばかりが頭の中を占めていました。

でも、私は本当はマッサージで目の前のお客様に感動していただきたかったんです。

お客様から「すごく楽になったよ!!気持ち良くて癒されたよ!!これで仕事頑張れるよ」って言ってもらえる事、私しか出来ない卓越したマッサージができるセラピストを目指していたはずだったのに、、、

気が付けば技術を伸ばすことよりも、売上を伸ばすことばかり考えている自分が途端に嫌になりました。

学びたい事を学ぶ余裕が無く、とにかく毎月1000万円の売上を立てる事にプレッシャーを感じていたので、売上を伸ばす事にしか力を注げない日々になってました。

私は年収1000万円の人参をぶら下げられた状態で無我夢中になってましたが、よくよく考えてみると、そんだけお金があっても使う暇もないほど忙しく、結局先輩方がしているようにブランド品をたくさん買うことくらいにしか使い道が無さそうな気がしてきました。

年収1000万円だと親や友達にも尊敬されそうだし、周りにも差が付けられてカッコイイみたいな邪な考えすらありました。

でもそんな自分が幸せかどうか考えた時に、全然幸せじゃないなって思いました。

だって、私は少し前の正社員でもなんでもない、歩合制で働くセラピストの自分の方が、毎日マッサージの技術を磨いて、お客様ともたくさん向き合って幸せだったからです。

私にとって大事なのは技術や知識を磨いて目の前の患者様に感動を与える事であって、売上を伸ばすことなんて学んだ所で全然楽しくもなければ、そんなに売上が伸びていっても嬉しくも無かった事に気付いてしまったんです。

そう、売上は実際伸びていたんですが、それが全然やり甲斐にも繋がらなくて、、、私はやはり自分のセラピストとしての成長や、お客様の喜びの姿こそやり甲斐だったんですよね。

ぶっちゃけると、売上が伸びたのはお客様の喜びが大きいからだと言われますが、果たしてそうなのか疑問に思うんですよね。

マーケティングやブランディングがうまくいっただけの話で、本当にお客様の笑顔と感動が売上に比例してるのかと言えば私は全然そんな事ないなと思ってます。

お客様の満足度と比例して売上が伸びたのであればそれは健全で素晴らしい事だと思いますが、そうではないと感じている時点で私はもうやっていけないと思いました。

売上が伸びた要因は色々ありますが、私や私の管理する店舗のスタッフがお休みを削って仕事をしているとか、従業員の時間の搾取による所も正直ありました、、、私が厳しくしてしまっていたんです。

私は自分に厳しくなっていたので、他のスタッフにも厳しくなっていて、それが正義とすら思えていた事にも嫌気がさしました。

こんなことを続けて30才になる頃には私は自分が嫌いになっているなと思いました。

お金じゃない、自分らしさや自分の在り方、自分の尊敬する自分であることが最も大事だと思いました。

そう思ってすぐ会社辞めました。

(会社が悪いわけではなくて、自分には合わなかったのだと思います。今思い返しても社員の一人一人の皆様は良い方ばかりで、熱心で仕事が大好きな方ばかりでした。)

会社辞めたところでノープランな私はすぐにバンコクに行きました。

日本から一旦離れてみることで自分を見つめ直す事ができるはずと思ったからです。

会社にどっぷり使っていた私の脳は会社の影響を大きく受けていたので物理的にも距離を置く事が大事だと思ったんです。

バンコクでマッサージ修行!

バンコクに飛んで最初にしたのは、ワットポーというお寺で2000年以上前から受け継がれてると言われているタイ古式マッサージを学ぶことでした。

タイ古式マッサージは伝統的なマッサージで、今でもタイの病院でも行われている医療としても行われているマッサージです。

仏教と共にお寺から広がっているだけあってマッサージの技術だけでなく、仏教の教えも一緒に学ぶことが必須な東洋哲学と東洋医学がセットになった治療の1つです。

日本では治療行為ではなくリラクゼーションの1つですが、私は医療として今でも受け継がれている本格的なマッサージを学びたかったので、ワットポーというお寺でその本格的なマッサージを学んでみたかったんです。

もう20年近く前の話なので、その当時はスマホもなければインターネットでもそんなに情報はない時代です。

とりあえずワットポーに行って学べるらしいって事しか情報がなかったので行って確かめようって感じでした。

ドキドキしながらトゥクトゥクに乗ってワットポーを訪ねると、、、どうやらマッサージスクールは運営していて、どこの国籍の人でも学べるとのこと。

ただし、朝からお経を唱えたり、お掃除をしたりと心を清める時間が必要なので、明日の朝早くから来るようにと言われて、その日はワットポーという広いお寺を見学して周り終えました。

因みに日本人はその時は他に1人だけでしたが、日本語をカタコトで話せる先生と英語がペラペラな先生がいるからなんとかなるよ!マイペンライ!って言われました。

次の日から毎朝オンナモというお経を唱えて、掃除をしてからマッサージを学ぶという日々が始まりました。

オンナモはタイ語なのでさっぱり意味は分かりませんが、唱えていくうちに心が静まっていく感覚はありました。

呼吸に合わせてゆっくりとふか〜く指圧していくマッサージは自然と呼吸が整いリラックスできます。

また、ストレッチを交えながらマッサージしていくのでほぐれるのが早く効果的です。

センとかプラーナと呼ばれるエネルギーの流れを整えていくと言ったスピリチュアルな考えもあるマッサージで、マッサージを受けた後には身体も心も氣も整えられて心は静かに落ち着き、それでいて前向きな気持ちになれます。

身体も軽くスッキリします。

バンコクには1ヶ月ほど滞在して毎日オンナモ(お経)を唱えてはマッサージの修行をしレベルアップしていく自分を感じながら充実してました。

毎日色々なマッサージサロンやSPAに行き色々な方のタイ古式マッサージを受けましたが、どこに行ってもお上手なんですね。

日本よりも圧倒的に全体的たレベルが高いことに驚きました。(20年くらい前の話です、今は日本も昔よりはレベルは底上げされてます)

しかし、圧倒的に上手い方というのは、やはり仏教の教えを守り、毎日清く正しく生きている方なんですね。

心を正すためにお経を唱えたり、精神統一のため瞑想したり、仏の教えに従って慈悲の心を持っていたり、、、。

そういう東洋哲学を大切にしている方はそれが手を通して何らかのエネルギーワークを行っているのが分かりました。

それはどこまでそのセラピストが意図しているのかはわかりませんが、エネルギーが滞っているところはエネルギーを流すように、エネルギーが足りないところはそこにエネルギーが補充されるようにタイ古式マッサージを通して行われているのです。

それを敏感に感じ取れるようになるには、やはり心身を清めて集中する精神が必要なのでしょう。

また、もう一つバンコクに学びに来て良かったことは、解剖学博物館がバンコクにはあり、そこでは日本ではなかなかお目にかかれない貴重な展示物がたくさんあることです。

シリラート病院というところにあり、人間のホルマリン漬けされている実際の人体が見れます。

解剖されているので筋肉や骨などがリアルに見れます。

私が触っている皮膚の下はこのようになっているのかととても勉強になりました。

やはり、絵や画像とは違って本物の人間ですから、分かりやすいです。

筋肉や骨のイメージが沸くだけでもこんなにもマッサージしている時にほぐしやすいと思えるのは驚きでした。

シリラート病院はタイ最古の病院タイ王室御用達の病院で、西洋医学と東洋医学両方の治療が行われており、シリラート病院でも治療としてタイ古式マッサージが患者さんに施術されています。

私がバンコクで学んだことは。

・東洋哲学無くして上手にはなれないこと。

・東洋医学は現代でも立派な医学として取り入れられていること。

・西洋医学と東洋医学の融合はどちらかだけの治療よりも多角的に診れるため、あらゆる病気の根本治療になるのでは無いかということ。

マッサージを単なるリラクゼーションではなく立派な治療として多くの人に役立てることが出来るなんて素晴らしいと思いました。

私は帰国後に治療としてマッサージができる人(治療というのは違法行為になるので、治療はできませんが、治療レベルで行われているレベルが高いマッサージ)になりたいと思いました。

多くの人を助けられる人になるために自分の人生使いたいと思いました。